みなさんは買い物をするとき、何を基準に選びますか?
性能や出来がよさそうだ、デザインや色がきれいだ、名の通ったメーカーで安心だ、等々ジャンルや目的によってさまざまな選択肢があって、そうした条件に勝ち残ったモノだけが、皆さんの家に参加が許されている。私の場合、1984年頃と今をくらべてあきらかに買い方が違っていて、昔は選択肢の中に「変わったスタイル」や、「面白いアイデア」に対する評価が確かにあったが、最近は、「飽きがこない」とか「落着いた上品さ」といった基準が大きな割合をしめている。オジンになったせいかもしれないが、今の若い人たちの消費マインドを調査してみると、やはり定番ものやオーソドックスで品質の良いものを好む安定志向の傾向がみられ、時代が変化しつつある事が伺えるのだ。
さて前回は、クルマは公共の景観に与える影響が大きく、日本の自動車メーカーは、そうした環境造形としての意識が無さすぎるし、似たスタイルを平気で作ってしまうといったモノ造りのモラルも希薄だ、という内容から、東京モーターショーのトヨタ・レクサスブランドを訪ねたところまでお話しした。続きを読んでいただく前に、みなさんのモノの買い方が変化していることや、買いたくなるモノへの魅力の感じ方をもう一度チェックしておいていただきたかったので、冒頭で述べたような質問をさせていただいたのである。
トヨタの好調な理由の一つに、確かな行動力を持っている事が上げられる。大企業になればなるほど、社内のコンセンサスを得る儀式が大げさになり、決断のタイミングが遅れたり、角の取れた決定がなされたりと、歯がゆい事が多くなるが、少々動き出すのが遅い感じはあるものの、他社に比べ最近のトヨタは確実な手を打ってくるようになった。レクサス・ブランドもそうだ。
2005年のラインナップ完成予定で動き出したトヨタのレクサス・ブランドは、アメリカのクルマ作りを取り入れたやりかた、つまりモデルチェンジによって旧型を陳腐化させるというこれまでのトヨタ式の開発ではなく、ほんものの価値を基準にした、お客様の趣味性や文化を牽引する高い次元に立った商品を提供する、というコンセプトのようだ。トヨタは時代の先をきちんと見据えお客様の心を捕まえようとしている。
たしかにトヨタに限らず、以前の日本の自動車メーカー各社は、アメリカ車のように2年ぐらいでデザインが陳腐化するよう、これまでやってきたデザインを自ら否定するやり方の「新車効果」で販売台数を稼いできた経験がある。しかし、成熟した社会文化の時代には人々の価値観に合わないどころか、そんな事をいつまでもやっていたら、ブランドにはなり得ないし信頼もされないのだが、いまだに日本の自動車メーカーは、これまでの流れから抜け出せないのが現実だ。こうしたなか、トヨタの決意表明は的確なやり方だ。ブランドイメージというものは、最初に手がけたかどうかが重要な価値を持ち、先にはっきり言った方が絶対的に有利だからだ。このへんの商売センスはトヨタの独壇場である。もう少し時代背景を探ると、特に日本の場合、20世紀末までの右肩上がりの経済と情報化社会により21世紀になるとほぼ同時期に文化の熟成期に入った。そして経済の停滞期が長く続けば、これまでの均質な社会も崩れ始め、今後は貧富の格差が広がる事が予測される。そうした時代の雰囲気を支配するキーワードは、20世紀が、新しさを求めためまぐるしい「変化」だったのに対して、いまは伝統に裏付された不変の価値の高まりや、最近目立つようになってきた富裕層を中心とした最上の品質を求める社会現象などから、「安定」ということになる。トヨタはこうした経済の変化を大きなマーケットとして捉え、お客様への貢献目標を明確に打ち出した。今後も台頭してくる富裕層に、バリュー・フォー・マネーにのっとった価値あるものを提供しようというのだ。
この時期、日産を除いて(カーデザイン・ミシュラン特別企画を参照)他のメーカーが何も動かないのが私には信じられない。
以前、経済史やマーケティング、文化人類学のエキスパートの方たちと共同で日本人の特質を独自に分析し、10年後20年後のライフスタイルがどんな風に変化するのだろうか、という未来予測研究をおこなった事がある。やはり、明るい未来とは言えない状況の中で、貧富の格差が広がり新しい階級のようなものが出来てしまう、と予測した。現在、大手都市銀行は儲かる富裕層の顧客満足を得ようと、庶民と富裕層とのフロアを分けるといった階級差別を意識した線引きを既に始めており、モラルの欠落した政府の手厚い保護を受け、消費者金融まがいのカードローンの次のインモラルな商売に走リ始めている。こうした暗い時代への流れの責任は日本の政府にあるように、世界のナンバーワン自動車メーカーの座を狙えるトヨタには、富裕な方々がメルセデス・ベンツやロールスロイスよりも高い金額に見合う価値を感じるクルマを作る責任があるように私には思えるのだ。そして、それがレクサスの使命だと思う。
ところで前回の続き、レクサスブランド企画室長とお話しして、意気投合した内容に移ろう。まず最初にショー会場のブースの本物の竹の床材について私が質問したのがきっかけだったと思うのだが、ウォールナットの自然素材をはじめ、ニッケルやアルミを削り出した金属の持つ素材の美しさ、重量感といったクルマに使いたい材質の魅力や、そうした本物の良いものは長く使えること、そうする事が結局は資源の有効利用につながる、また竹のように加工は難しいが、大量に廃棄されている素材を使うのは自然環境にもやさしい事で、単純に利益率の高い高級車にシフトするのではなく、地球や社会全体の視点で世の中の為になる車の作り方をしたい、というような内容を伺う事が出来たのである。私の考えと重なるところが多く、正直な話、他の自動車メーカーのデザインのトップの方とお話しして、ここまで具体的に情熱を語る方はいらっしゃらないのだ。趣味の話なら結構盛り上がるが、クルマ造りのビジョンとなると何を考えているのかわからない方が多い。レクサスブランド企画室長は長屋さんというデザイナー出身の方であったが、時の経つのを忘れるほど熱く語り合ってしまった。トヨタはさすがにすばらしい人材をお持ちだ。
この文章の仕上げ中に、息抜きにTVをつけたら小沢征爾のドキュメンタリー番組の再放送をやっていた。世界のOZAWAは、その人間性のゆえ皆から愛されている。自分自身の音楽への感動が、あの独特の表現力で演奏者に伝わり、経験も浅く若いオーケストラの団員達が150%、200%の力を出してしまう。以前にも見て感激したが、人にやさしく、多彩に感動できる熱い心は年齢より20は若く見える。
最近日本の自動車メーカーのデザインのトップの方たちはクールな方達が多くなった。いつのまにかリストラや退社などでOZAWAのような熱い人がいなくなっている。経営者や人事部門から見ると組織に向かないと思えるのだろうか。
車の世界でも、かつて求心力を発揮した本田宗一郎は、その熱い心で有名だった事を忘れてはならない。そういえば日産のデザイン部長の中村氏も「熱さ」が感じられる方である。中村氏がイスズから招かれ、部長になってからの日産はデザイン部門がうまく回っている。先ほどの長屋氏も熱く語る方であった。レクサス・ブランドのデザインも期待できるに違いない。(荒川 健)2003.12.14
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